
ファミコン版『MOTHER』誕生の舞台裏──糸井重里と任天堂が生んだ異色のRPG
1989年、ファミリーコンピュータ(ファミコン)に一風変わったRPGが登場しました。その名は『MOTHER(マザー)』。中世ファンタジーが主流だった当時のゲーム界において、現代アメリカ風の舞台設定や奇抜な敵キャラが話題を呼びました。
本記事では「ファミコン MOTHER 開発秘話」をテーマに、ゲーム誕生の裏側を詳しくご紹介します。
糸井重里がゲーム開発に乗り出した理由
『MOTHER』の企画・シナリオを担当したのはコピーライター・エッセイストの糸井重里氏。彼がなぜゲーム開発に携わることになったのか――その背景には、任天堂との出会いがありました。
特に『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』で知られる宮本茂氏との対話を通じて、「ゲームが文化的な表現になり得る」と確信。そこから「自分でもゲームを作りたい」と考えるようになり、任天堂に企画を持ち込んだのが始まりでした。
『MOTHER』の世界観──現代アメリカと家族愛

『MOTHER』の舞台は現代風の町や村。プレイヤーは超能力を持つ少年となり、仲間たちと共に「悪の力」と戦います。登場する敵はゾンビ、ポルターガイスト、暴走した家電など、当時のRPGでは見られなかったユニークな存在ばかり。
武器も「バット」や「フライパン」「おもちゃの銃」など、日常的なアイテムが中心です。電話で母親と話してHPが回復したり、父親から口座にお金が振り込まれるなど、ゲーム全体を通して“家族”というテーマが貫かれています。

開発チームの構成と苦悩
開発は任天堂と外部会社APEX(現1-UPスタジオ)が中心となり、当時HAL研究所にいた岩田聡氏がプログラムを担当。のちに任天堂社長となる岩田氏は、糸井氏のシナリオを技術的に実現すべく尽力しました。
テキスト量の多さ、細かいイベント調整、限られたメモリ空間の工夫など、開発現場は試行錯誤の連続でした。
ファミコンソフトとしての挑戦
ファミコンという8ビット機で、これだけ複雑なRPGを実現するには大容量ROMの使用など大きな挑戦が伴いました。戦闘画面のブラックアウト演出、建物ごとに変化するBGMなど、細部まで徹底されたこだわりが詰まっています。
音楽は鈴木慶一氏と田中宏和氏が担当。チップチューンでありながら、どこか温かみのある名曲が多くのファンの心に残りました。

発売と反響──熱狂と戸惑い
1989年7月27日に発売された『MOTHER』は、ファミコンユーザーから熱烈な支持を受けました。特にストーリー性を重視するプレイヤーから高い評価を受け、「文学のようなゲーム」とも称されました。
一方、難易度の高さや操作性に戸惑う声もあり、初動の評価は賛否が分かれました。しかしその独自性は後にカルト的な人気を呼び、『MOTHER2』へとつながっていきます。
海外版『EarthBound Zero』の伝説
『MOTHER』は英語版『EarthBound』として北米市場向けにローカライズされていましたが、発売直前で中止に。完成版ROMが流出し「幻のEarthBound Zero」としてファンの間で語り継がれることになります。
そして2015年、ついに『EarthBound Beginnings』としてWii Uで公式リリース。世界中のファンの手に届くこととなりました。
『MOTHER』が与えた影響と現在
シリーズは『MOTHER2』『MOTHER3』で完結しましたが、その影響は国内外のゲーム開発者に今も続いています。インディーゲーム『UNDERTALE』の開発者トビー・フォックスも、MOTHERシリーズからの影響を公言しています。
糸井重里氏は今でも「MOTHERは人生の宝物」と語っており、シリーズへの想いは変わっていません。
まとめ:ファミコンの常識を覆したRPG
ファミコン版『MOTHER』は、現代的な舞台、家族というテーマ、そして独特なユーモアと哀しみを取り入れた、まさに革新的なRPGでした。
「ファミコン MOTHER 開発秘話」は、ただの裏話ではなく、日本のゲーム史における重要なエピソードのひとつ。今後も語り継がれていくことでしょう。